別名・小泉地区の発掘調査成果報告会
[2024年3月10日(日):今治市別名]

調査員の説明に聞き入る皆さま

 当センターでは、令和3年7月から令和6年1月にかけて、一般国道196号今治道路および市道別名矢田線に伴う埋蔵文化財調査を実施し、別名藪下遺跡、別名端谷Ⅰ遺跡2次調査、別名端谷Ⅲ遺跡、小泉吹谷西遺跡の合計4遺跡の発掘調査を行いました。

 別名・小泉地区の3ヵ年の発掘調査の終了という節目であり、これらの調査成果を地域住民の方々と共有いたしたく、令和6年3月10日(日曜日)13時から、今治市小泉の愛媛県埋蔵文化財センター今治小泉事務所において、発掘調査報告会を開催しました。


 別名藪下遺跡では、弥生時代終末期〜古墳時代初頭の集落および中世後半(15〜16世紀)の集落跡の広がりを把握することができました。また、中世後半の集落跡では、水溜に結物を転用した石組み井戸が確認されました。

 別名端谷Ⅰ遺跡2次調査では、弥生時代後期、古代(9〜11世紀)、中世後半(15〜16世紀)の集落跡を確認しました。緑釉陶器は愛媛県内有数の出土量を誇るとともに、県内初事例である白釉緑彩陶器が2点出土しました。また、水溜および井戸側として楠を刳り抜いた刳物を転用した石組み井戸も確認されました。中世後半では、丘陵斜面を造成して築かれた平坦面に集落跡が展開し、自然流路からは漆器椀や「奉□□大般若経六百巻 天文拾伍丙午歳月吉日(吉辰ヵ)」と墨書された木札が出土しました。

 別名端谷Ⅲ遺跡では、丘陵斜面の南東部に馬蹄形状に巡る弥生時代前期末の環濠状の溝を検出しました。溝の内側および外側では当該期の集落に関する遺構を検出することができませんでしたが、溝から出土した遺物から丘陵頂部に一定期間、人々が居住していたことが推測されます。

 小泉吹谷西遺跡では、『越智郡絵図』に描かれた山田池の痕跡を抑えることができました。


 3ヵ年の調査を通し、別名・小泉地域では弥生時代前期末〜近世に渡る人々の生活痕跡を抑えることができました。いずれの時期においても重要な調査成果を得ることができ、別名・小泉地域だけでなく、愛媛県内の地域史を紐解く上で貴重な成果となりました。今後の整理作業で当時の様相を具体的に迫ることができると思います。


 当日は4遺跡の調査成果を報告するとともに、写真パネル・遺物を展示しました。約70名の方々にご参加いただき、ご盛況の中無事に説明会を終えることができました。










~ 成果報告会当日に配布した資料も合わせてご覧ください ~

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成果報告会資料[PDF]


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